2020年8月17日(月)

■<交流試合>磐城ナイン解散式 甲子園での勝利は後輩に託す 「聖地の土」進呈も

「2020年甲子園高校野球交流試合」(兵庫県西宮市・阪神甲子園球場)を終えた磐城ナインが16日、同校で解散式を行った。15日の試合では国士舘(東京)に3−4で敗れたが、保護者や関係者らが一堂に会し、聖地での健闘をたたえた。

岩間涼星主将(3年)が「皆さんの応援のおかげで、自分たちの野球が出来た」と感謝の気持ちを伝え、「甲子園で勝つということを目標にやってきたので負けてしまったのは悔しいが、あの舞台で“Play Hard”の野球が出来た。甲子園で勝つという目標は後輩たちに託したい」と締めくくった。

式終了後、日本高野連から贈られた甲子園の土が高校野球を引退する3年生13人に手渡された。交流試合では、感染症対策の一環として、甲子園大会後、恒例の選手が土を集めるのは事実上「禁止」とされた。日本高野連のはからいで、出場校に土が贈られた。

写真は、甲子園の土を手にし、新たなステージに立つ磐城の3年生=16日(クリックで拡大)

■<交流試合>主戦・沖 右ひじの違和感隠し粘投

幼少から、神社での参拝時、甲子園出場を夢見て、いつも54円(こうしえん)を納めた。神頼みまでしても、来たかった。磐城の主戦沖政宗(3年)がようやく聖地のマウンドに立った。7月、右ひじに違和感を覚えた。「最後の最後で、おれ、何やってんだろう」。人知れずブルペンで泣いた。決して、本調子ではない。でも、背番号1はマウンドを譲らない。憧れだった聖地で114球を一人で投げ抜いた。

三回、連打と自らの失策などで3点を献上。同点で迎えた六回は犠飛で勝ち越しを許した。ずっと2番手の佐藤綾哉(2年)が投球練習。渡辺純監督は代え時を探っていたが、後藤浩之部長は首を縦に振らなかった。「まだ、行けます」。自分より沖と長い付き合いの後藤部長の一言で、指揮官はエースとの心中を決めた。

「自分の人生で最高のいい思い出になった。自分を応援してくれた皆さんに感謝したい」と沖。部史に新たな一ページを刻んだ大エースはさらなる高みを見据え、東京六大学に進み、大学野球の聖地・神宮でのプレーを夢見る。笑顔が似合うエースの挑戦はまだ終わらない。

写真は、聖地で114球を一人で投げ抜いた沖=15日(クリックで拡大)

■<交流試合>木村前監督7分間のノッカー 魂のこもった一球一球で激励

試合前には、3月まで磐城で指揮を執った木村保前監督がノッカーを務めた。離任式のあった3月30日以来、胸に「IWAKI」が入った試合用のユニホーム姿で魂を込めた7分間のノックを打ち、チームの士気を高めた。

試合後、木村前監督は「人生の中でこんなに濃密な7分間を過ごしたのは初めて。最高の舞台で最高の準備ができるように心がけてやらせていただいた」と話し、感極まった。ノッカーの大役を終えると、首筋の汗をぬぐいながら、ともにチームを支えた大場敬介前部長らと試合を観戦。かつての教え子の晴れ舞台を見守った。

「本当に魂のこもった一球一球で最高の準備ができた。自分たちもそれに応えて、最後まで笑顔でやり抜こうと話した」と岩間涼星主将(3年)。だが、あと一歩及ばず惜敗した。木村前監督は「精いっぱい持ち味を出していた」と称え、「粘り強く我慢強くプレーし、最後の最後までよく頑張った」と磐城ナインを誇った。

写真は、試合前の7分間のノッカーを務める木村前監督=15日(クリックで拡大)

■<新型コロナ>いわきFC寺村選手が退院 あすから練習に合流へ

市は16日、7日に新型コロナウイルスで陽性と診断され、県内の感染症指定医療機関に入院していた市内20例目に当たる、いわきFC所属のMF寺村浩平選手(19)が退院したと発表した。同日現在、市内の感染確認者20人のうち、退院が確認されたのは寺村選手を含め17人。

寺村選手は7月21日、大阪府の実家に帰省。同27日に本市に戻った。4日に実家の母親の感染が確認されたため、市保健所からの指示で濃厚接触者として、6日に帰国者・接触者外来を受診。PCR検査をした結果、翌7日に陽性反応が認められた。チームを運営するいわきスポーツクラブによると、寺村選手は18日からチームに合流する予定。