2020年8月15日(土)

■甲子園交流試合 磐城は国士舘に惜敗 追いつく粘りも 本紙は号外発行

磐城、惜しくも1点差で敗れるも最後まで Play Hard の精神で躍動!――新型コロナウイルスの感染拡大で春のセンバツ、夏の選手権大会が中止となる中、3年生を中心とした高校球児たちに甲子園球場でプレーのチャンスを、と開催された「2020年甲子園高校野球交流試合」。第4日の15日、真夏の太陽が照りつける聖地で、第2試合に登場した磐城は東京代表の国士舘と対戦。先制し、逆転されても追いつく粘りを見せたが、3―4で敗れた。

25年ぶりに甲子園へ戻ってきたコバルトブルーのユニホーム。選手の家族やチーム関係者のみに許されたスタンドでの直接応援だけでなく、遠くいわき市からも、磐城高の校内では生徒や教職員が、市内で開かれたパブリックビューイング会場では大勢の市民が、映像を通じて選手たちに熱い声援を送っていた。

初回は3者凡退に終わったが、二回に先頭の岩間涼星(3年)が四球で出塁すると、続く小川泰生(同)がチーム初安打を右前に運んで無死一・二塁とチャンスを広げる。草野凌(同)もよく四球を選んで無死満塁と攻め、首藤瑛太(2年)の二ゴロ併殺の間に岩間が先制のホームを踏んだ。これで2死となったが磐城の攻撃は終わらない。三塁に小川を置いて、さらに沖政宗(3年)がしぶとく中前に適時打を放って、さらに1点を追加した。

磐城のエース・沖は1回、先頭打者にいきなり右中間二塁打を許す。さらに犠打で1死三塁のピンチを迎えたが、続く打者の三塁ゴロの送球間に本塁を突いた三走を一塁手の小川が判断よくバックホームしてアウト! これに気をよくして二回も3者凡退と上々の滑り出しだった。しかし、三回無死から連打を浴び一・三塁のピンチを迎えると、投前スクイズを処理した沖が一塁に悪送球して1点を許す。さらにこの回、二・三塁から右前に2点適時打を浴びて逆転された。

磐城はあきらめない。六回だ。1死から市毛雄大(3年)が中前安打で出塁。2死後に小川が四球でチャンスを広げると、草野の中前安打の間に市毛が本塁を狙う。タイミングはアウトだったが、タッチを巧みにかわして同点とした。しかしその裏、国士舘に連打と盗塁、犠飛で決勝点を与えてしまった。磐城は八回に市毛と岩間の内野安打で無死一・二塁と再び同点機を迎えたが、併殺と走塁ミスでチャンスを生かすことはできなかった。

試合前のシートノックでは、春まで選手たちと苦労を共にした木村保前監督(現福島商教諭)が特例で7分間、魂のノックをした。試合には敗れたが、小川がファールフライを追ってカメラマン席に飛び込むファイトを披露。途中出場から2打数2安打と活躍した樋口将平(同)も右翼から鮮やかなバックホームで生還を許さない。左翼の清水真岳(同)が浅い飛球をダイビングして捕球。岩間も盗塁を2度刺すなど、木村前監督のノックにこたえた。

いわき民報社は15日夕方、磐城の試合に合わせた号外を発行・配布した。号外は<こちら>(PDF、1.94MB)。

写真は、二回表、無死満塁で首藤瑛太(2年)が二ゴロ併殺打を放った場面。この間に岩間がホームを踏んで先制した=15日(クリックで拡大)

■17日から小名浜出港へ サンマ船団気合込める

100トンを超える大型船のサンマ棒受け網漁が20日に解禁されるのを受け、本県所属のサンマ漁船5隻が17日正午より順次、小名浜港漁港区から集結地の北海道・釧路港に向けて出港する。ここ数十年で過去最低の不漁となった昨年、その昨年より厳しいとされる今年の海況予報、そして新型コロナウイルス感染症に伴うさまざまな影響――強烈な逆風の中、漁業関係者たちは大漁を願いながら、出港日に向けて気勢を上げている。

全国さんま棒受漁業網漁業協同組合の統計では、昨年の全国の水揚げ量は昭和56年の統計開始以降で過去最低の約4万517トン(前年比7万9413トン減)を記録し、本県の水揚げ量も平成元年以降で初めて500トンを割る489トン(前年比289トン減)という非常に厳しい状況だ。

さらに追い討ちをかけるように、水産庁は本年度の漁期(8〜12月)を通じた道東〜常磐海域の来遊量、1歳魚の平均体重が昨年を下回ると予測。県秋刀魚対策協議会長などを務める、多七商店=江名南町=の加沢喜一郎代表社員社長(59)は「去年より少ないとなると非常に危機的だ」と現状の厳しさに苦い表情を見せる。

「厳しい予報であるが、成果は出てみないと分からない。生きの良いサンマを取ってるよう頑張ってほしい」と加沢社長。漁師たちはコロナ渦で沈む地域に希望の光を照らすため、気合を込め出港に臨む。

写真は、出港に向けて準備を進めるサンマ船=14日(クリックで拡大)

■きょう終戦の日 戦後75年 風船爆弾の歴史伝える意義

きょう15日は終戦の日。戦後75年が経過し、戦争を直接知らない世代からも、後世に歴史を受け継ぐ重要性を訴える声が聞かれる。県いわき海浜自然の家主任指導員の椰良幸広さん(60)=内郷高坂町=も、そうした思いを強くする一人だ。

椰良さんは気象予報士の資格を持つ立場も交えながら、勿来地区から米国に打ち上げられた風船爆弾の研究を進めているが、「今のままだと、記憶からも記録からも消えてしまう」と危惧する。考古学を専門とする中、平成19年に市生涯学習プラザの職員を務めていた際、いわきヒューマンカレッジ(市民大学)で風船爆弾について触れたのをきっかけに興味を抱いた。

平成23年3月に気象予報士を合格した後は、当時の天気図やジェット気流のあり方から、その整合性を確認してきたという。米国の資料や終戦直後の航空写真を基に、椰良さんは打ち上げ場所や鉄道の引き込み線を特定。ただ現場周辺には平成20年に立てられた看板が残るのみで、打ち上げられた頃の面影は無い。

この辺りは国道6号勿来バイパスの工事が計画されており、椰良さんは「合わせて発掘調査を行うべきでは」と提案する。全国的にも風船爆弾の資料が少ない中、貴重な近代の遺構を守るべきと説いた上で、「今後も研究・調査を進め、何らかの結果をまとめたい」と意欲を示す。

写真は、打ち上げの事実を伝える唯一の看板=15日(クリックで拡大)

■小川ならではのじゃんがらを 小玉小の子どもたちが披露

小玉郷土芸能クラブは14日、小川町上小川の市草野心平生家で郷土芸能じゃんがら念仏踊りを披露した。同クラブはじゃんがらを通して地元の伝統継承を図るために昭和56年に発足し、現在は小玉小の4〜6年生が活動している。地域によって受け継がれる振り付けなどが異なるため、“小川ならでは”の踊りを大切に保存に努めている。

今年は新型コロナウイルス感染症予防のため、検温やアルコール消毒などの対策を取りつつ踊りは行われた。保護者や近所の人たちが見守る中、子どもたち16人は力を合わせ、力強く太鼓と鉦(かね)を奏でて祖先の鎮魂や新盆供養した。

写真は、暑さに負けずじゃんがらを踊る子どもたち=14日(クリックで拡大)