2020年1月1日(水)

■新しい年の幕開け いわきの正月 広い範囲で晴れに

令和2(2020)年が幕を開けた。1日のいわき地方は冷え込み、福島地方気象台によると、小名浜の朝の最低気温は1度だったが、広い範囲で晴れの正月となった。日付が変わるのに合わせ、いわき市の神社仏閣には大勢の市民らが初詣に訪れ、1年の無事を願っていた。

950年以上の歴史が伝わる平字八幡小路の飯野八幡宮も、多くの参拝客であふれていた。本殿までに長い行列ができていたほか、境内ではおみくじを引く人や、縁起物を買い求める人の姿が目立った。

写真は、飯野八幡宮に初詣する市民ら=1日未明(クリックで拡大)

■いわき生まれの<カツオ>はひと味違う 競泳・松元 目指すは東京五輪で金

令和2(2020)年、今年はいよいよ東京五輪が行われる。東日本大震災・東電福島第一原発事故を踏まえ、「復興五輪」と銘打たれ、聖火リレーは3月26日、原発事故の廃炉拠点から再生した「Jヴィレッジ」(楢葉、広野町)をスタート。同日にはいわき市にも入り、平中心市街地を駆ける。開会式は7月24日、国立競技場(東京都新宿区)で開かれ、そこに聖火が届けられる。

五輪は世界中からアスリートが集う祭典だが、いわき市生まれの競泳・松元克央(22)=セントラルスポーツ=は金メダル候補だろう。昨年7月の世界水泳(韓国・光州)では、男子200メートル自由形で日本新の1分45秒22のタイムを出し、銀メダルを獲得した。五輪、世界選手権を通じて、この種目では日本人初の表彰台という快挙だった。

育ちは東京都葛飾区だが、母の実家・いわき市で生まれ、プロフィールはいわき市としている。高校2年の時、何気なく書いてから変えていなかったが、東日本大震災が発生し、いまはその重みを感じるようになった。

「東京五輪で金メダルを取る。そのために練習をしている」。身長186センチのがっしりとした体形に、笑顔がまぶしい松元だが、凛(りん)とした表情で言い切った。

愛称は<カツオ>。小学5年の時にコーチからそう呼ばれ、いまではお気に入りのニックネームだ。短文投稿サイト「ツイッター」でも、「松元克央(かつお)」としているくらい。奇しくも、カツオはいわき市の水産物「常磐もの」の代表格。松元も「何か縁を感じますよね」と笑う。

ただ、ここまで順風満帆だった訳ではない。2017年世界水泳(ハンガリー・ブダペスト)では、日本代表入りも予選敗退。一昨年秋には、右肩を負傷するアクシデントにも見舞われた。

飛躍を支えたのは、師事する鈴木陽二コーチ(69)。1988年ソウル五輪100メートル背泳ぎ金メダルの鈴木大地氏(52)=現・スポーツ庁長官=を育てた名伯楽だ。鈴木コーチは「私は、彼は金メダルが取れる選手だと思っている」と語る。

鈴木コーチは競泳界では過酷な練習で知られるが、松元は「鈴木先生のきついメニューに食らいつくことで、結果が出てきた」と振り返る。松元は弱音は吐かない。「金メダルを取るためには、つらいなんて言っていられない」ときっぱり。黙々と練習を重ねている。

転機の一つに、一昨年秋に右肩をけがしたことを挙げる。「体の使い方や、泳ぎ方を考えられるようになった」と話す。鈴木コーチも「けがをするまでは、どちらかと言うと力任せに泳いでいた」と指摘する。

昨年7月の世界水泳では、五輪、世界選手権を通じて、この種目では日本人初の表彰台という快挙を成し遂げたが、松元によると、日本人が勝てなかった理由に、体格の違いがあるという。

けがをきっかけに、筋力トレーニングにも力を入れるようになった。松元が「成長している感じがする」と言うように、めきめきと上半身・下半身ともに強化された。もともとの腕の長さも生かし、世界と戦えるボディーをつくってきた。

松元が目標とする選手は、2016年リオデジャネイロ五輪で、800メートルリレー銅メダルの小堀勇気(25)=ミズノ。合宿でも同じ部屋になったことがあるが、その人間性を尊敬する。「強い選手は、人としても優れている」とたたえる。

[泳ぐ姿でいわきに勇気を]

生まれはいわき市だが、水泳に専念しており、なかなか訪れる機会はないが、「いわきは生まれた場所に間違いない」とこだわりを持つ。

世界水泳での活躍で、いわき市でも松元に注目が集まっている。平成23年の東日本大震災に続き、昨年10月には水害にも見舞われた生まれ故郷だが、松元は「僕が泳いでいる姿を見ることで、少しでも勇気が与えられるならば、とてもうれしい。その応援に応えられるよう、しっかりと結果を残したい」と力強く誓う。

愛称の<カツオ>も、市民にとってはつながりが感じられる。昨年11月の社会人選手権(静岡県富士市)では、場内アナウンスで「4レーン、松元カツオ…。失礼しました、松元克央」と呼ばれる珍事があったほど、広く定着しているようだ。

ただ「カツオも好きですが、実はマグロの方がもっと好きです」と松元。茶目っ気たっぷりに笑う姿は、22歳の若者そのもの。東京五輪で、表彰台の頂に立つのが待ち遠しいが、選考レースは4月の日本選手権一本。緊張が強いられるが、松元に気負いはない。

まつもと・かつひろ 平成9年2月28日、いわき市生まれ。5歳から水泳を始める。千葉商科大付属高―明治大。現在はタイで強化合宿中。

写真は、練習拠点の千葉県習志野市で取材に応じる松元(クリックで拡大)

■いわきFC JFLに戦いの場移る

いわきFCは今季、日本フットボールリーグ(JFL)に戦いの駒を進める。平成28年から現体制となり、県社会人サッカー2部から一段ずつ、カテゴリーを上がってきたが、JFLは国内4部相当で、1〜3部に分かれるJリーグのすぐ下に位置する。

ついにアマチュア最高峰に立つ全国リーグにまで進んできた。JFLの規定によって、ホーム戦は21世紀の森公園内のいわきグリーンフィールドをメインに、広野町のJヴィレッジスタジアムでも開催される。

JFLに戦いの場が移り、運営元・いわきスポーツクラブの大倉智代表取締役は、1年でJリーグ3部(J3)に昇格する考えを示している。ただ大倉氏は事あるごとに、「私たちの目標はJリーグ入りではない。もちろん勝負事なので、勝てるに越したことはないが、スポーツを通じ、いわき市を東北一の都市にする思いに変わりはない」と強調している。

JFLからJ3に上がるには、▽Jリーグ百年構想クラブに認定▽ホームゲームの平均入場者数2千人以上▽5千人以上収容のホームスタジアム▽JFLで4位以内で、かつJリーグ百年構想クラブの上位2チーム――などが求められる。うちJリーグ百年構想クラブに関しては、いわきFCも申請しており、2月までに可否が決まる見込み。

集客も重要な要素になる。昨季はJFLでこの点が問題となった。東京武蔵野シティFCは残り3試合で、ホームゲームの平均入場者数2千人以上を満たしておらず、最終戦に向けて動員を計画するも、消防法の観点から断念。最終順位は4位だったものの、JFL昇格はかなわなかった。東京武蔵野シティFCはこの反省から、今季はJFL昇格は目指さない意向だ。

奈良クラブでは、観客の水増しが発覚した。ホームゲームの平均入場者数2千人以上の要件があるため、なるべく多く見せたいとする気持ちから、5年間にわたって水増しが常態化していた。

大倉氏はファンクラブのすそ野を広げることで、自分たちが掲げる「魂が息吹(いぶ)くフットボール」を通じ、見る人をワクワクさせる試合をしていきたいと話す。いわきFCの今季始動は、8日を予定している。